私は夏目漱石が大好きなのですが、漱石の「吾輩は猫である」の中に、プライシングについての興味深い寓話が出てきます。少し長いですが紹介させていただきます。

私は、プライシングというものはまさにこのようなものだと考えています。

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(苦沙弥(くしやみ)先生の奥さんと先生の友人の迷亭君の会話)

「何んでも昔し羅馬(ローマ)に樽金(たるきん)とか云う王様があって……」(苦沙弥先生の奥さん)

「樽金? 樽金はちと妙ですぜ」(迷亭君)

「私は唐人の名なんかむずかしくて覚えられませんわ。何でも七代目なんだそうです」

「なるほど七代目樽金は妙ですな。ふんその七代目樽金がどうかしましたかい」

「あら、あなたまで冷かしては立つ瀬がありませんわ。知っていらっしゃるなら教えて下さればいいじゃありませんか、人の悪い」

と、細君は迷亭へ食って掛る。

「何冷かすなんて、そんな人の悪い事をする僕じゃない。ただ七代目樽金は振ってると思ってね…… ええお待ちなさいよ羅馬の七代目の王様ですね、こうっとたしかには覚えていないがタークイン・ゼ・プラウドの事でしょう。まあ誰でもいい、その王様がどうしました」

「その王様の所へ一人の女が本を九冊持って来て買ってくれないかと云ったんだそうです」

「なるほど」

「王様がいくらなら売るといって聞いたら大変な高い事を云うんですって、あまり高いもんだから少し負けないかと云うとその女がいきなり九冊の内の三冊を火にくべて焚いてしまったそうです」

「惜しい事をしましたな」

「その本の内には予言か何かほかで見られない事が書いてあるんですって」

「へえー」

「王様は九冊が六冊になったから少しは価も減ったろうと思って六冊でいくらだと聞くと、やはり元の通り一文も引かないそうです、それは乱暴だと云うと、その女はまた三冊をとって火にくべたそうです。王様はまだ未練があったと見えて、余った三冊をいくらで売ると聞くと、やはり九冊分のねだんをくれと云うそうです。九冊が六冊になり、六冊が三冊になっても代価は、元の通り一厘(りん)も引かない、それを引かせようとすると、残ってる三冊も火にくべるかも知れないので、王様はとうとう高い御金(おかね)を出して焚(た)け余りの三冊を買ったんですって……どうだこの話しで少しは書物のありがた味が分ったろう、どうだと力味(りき)むのですけれど、私にゃ何がありがたいんだか、まあ分りませんね」


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